26の自分が恋愛について考えていること

恋愛

26にもなると人と一緒にお酒を飲んでいる際にどうしてもこの話題になる。それは「恋愛観」であり「結婚観」のお話。そういう話題について自分がいつも考えていることを今回は書いていきたい。

「浮気ってどこから?」いや、それより原因が問題だろう

よく話題にあがるこの話題「浮気ってどこから?」。

この話になるときいつも思う。”どこからが浮気か”っていう話題についてみんなで議論することには意味がないのではないか。なぜなら、浮気された側が”浮気された”って思ったら、それはどれだけ言説を並べようとその人にとっては”浮気された”ことになるからだ。そしてその線引きは明らかに人によって異なるだろう。

だから、”浮気された”と感じたときに考えるべきは「その行動が世間一般的に浮気と呼べるものなのか」「どうやって相手に反省をさせるのか」ではなく「なぜ相手が浮気をしたのか」である。一方的に「相手が浮気をした。だからその相手が悪であり反省させたら一件落着!」というのは何か違う気がするのだ。特に今後も2人で寄り添って歩んで行きたいのであれば。

仮にその理由が、単純に相手が自分よりもその浮気相手のことを好きになってしまった場合、もう改善の余地はない。鉄拳制裁を加えて別れるしかないだろう。

だが、相手が浮気した理由が自分にあった場合はどうだろう。自分に原因があって相手がその欠落を他人に求めた場合である。その場合、自分であれば「それならば仕方ない。その欠落を埋められるようにするよ」という会話をするのが一番2人のためになると思う。

「それでも浮気した人間が絶対に悪い!」というのは”浮気は悪いものである”という世間一般の価値観に流されて思考を放棄しているようにしか思えないのだ。その場合相手に「反省する」と言わせたとしても根本的な問題は解決していないのでその後も幸せな未来を描くことはできないだろう。

結婚の形もいろいろあっていいと思うんだ

いろんな人と話をしていてこの多様性の時代にあってなお、結婚の形はやはり世間一般的に”こうである”と定められた形に多くの人が正しさを感じている様に感じる。婚姻届出して家を買ってそこで2人で一緒に暮らす。

それももちろん本人たちが納得しているのであればなんの問題もない。ただ自分がその枠にハマると考えると何か違和感を感じるのだ。少なくとも今の自分としては、365日誰かと住んで自分の暮らしがその相手に四六時中左右されるというのが考えられないのだ。

なにも自分も好きになった相手と一緒にいたくないと言っているわけではない。ただずっと同じ空間にいると1人の落ち着いた時間が必要な自分にとって息苦しくなるのだ。バランスの問題である。

自分がよく言うのは、結婚相手とマンションの101と102に住みたいということである。基本的には自分のペースで生きることができる、かつ、会いたい時にはすぐに会えるという距離感。なんとなくその方が、”会える”とか”ご飯を作ってくれる”とかっていう結婚したら当たり前になるような事もずっと価値を持ち続けるような気もするのだ。

自分が最終的にどういう形に落ち着くかは分からないけれど、結婚したら既存の枠に囚われずに家族のあり方を考えていきたいものである。

恋愛・結婚のあり方とは

恋愛や結婚のあり方とは十人十色。いろんな形があっていいのだ。

自分が上記のようなことを話すとき、多くの人には「変わってるね」と言われる。果たして本当にそうなのだろうか。その「変わってるね」と言ってくる友人A達は、”世間一般的に正しい事”という枠組みをとっぱらって、本当に自分にとって、更には自分と恋人もしくは結婚相手にとって、その形がベストなのかと考えたことはあるのだろうか。

たった一度の人生なのだ。世間一般論に裏付けられたベターな生き方ではなく、自分で結論を出したベストな生き方をしたいものである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました