政治的無関心は誰のせいか。

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東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が大層な発言をなさりましたね。古い体制の残る組織内の権力者って、なんでこんなに器の小さい発言をするかなぁとか思ったところから、日本の政治家なんて特にそうだよなぁと思って表題の件にまで思い至ったので、別に政治にそこまで詳しくもない大多数の国民のうちの1人として思っていることをつらつらと書き連ねたいと思う。

政治的無関心は誰のせいか

よく選挙の時期になると街中がこの言葉で溢れる、“選挙に行こう”。私は一応毎回国政選挙にも地方選挙にも足を運んでいるが、「この投票になんの意味があるのか」と毎回思う。“選挙に行こう”という言葉には、「もっと選挙に興味を持とう!ちゃんと投票に行こう!」とあたかも政治に興味を持たない人、投票に行かない人が悪いかのような意味合いが強いと思う。

だけど、よくよく考えてみると興味もないことに関心を持てと言われて関心を持てるように人間はできていない。自分が元から興味があることや自分が関わることで何かしら自分にも影響があるようなことにしか人間は関心を持てないのだ。

ならば、なぜ日本は世界に比べてもこんなにも政治に興味がないのか。理由は明白で、「日本の政治がくだらない」からだ。

日本の政治は日本国民のためのものではない

日本政治をくだらないと思う根幹には、まったく日本国民のために行われていると思えないことがあると思う。公約を掲げ選挙に出馬した政治家を見て、その公約に夢を託し投票をするも、総理大臣ですら簡単に公約を破っていく。

そんな姿を見ていると“公約”とは、その政治家の実現したい夢を表したものではなく、自分の立場を確保するために国民にたらした餌のようにしか見えなくなってくる。一国民としては馬鹿にされているような気がしてならない。というより、言ったことを実現しないし、するための努力もしない人を信頼できるわけがなく、信頼できない人間に関心なんか寄せられるわけがないのだ。

日本の政治家のトップたる総理大臣ですらそうなのだから、政治に関心を持てと言っても無理な話である。

国会は不毛な子供の喧嘩

国会って何を話しているんですかね。そんなに国会中継をずっと見ているわけではないので、価値ある議論をしている瞬間もあるのかもしれないが、一般的にニュースなどで見ている限りでは、不毛な子供の喧嘩にしか見えない。いやむしろ子供の喧嘩よりも低レベルに見えてくる。

しらばっくれる与党に責任とって辞めろとしか言わない野党、そして周りには汚い野次を飛ばすいい大人たち。外国の方々には絶対に目にしてほしくない光景である。なんなら日本の子供にも見せたくない。

「悪いことをしたら謝りましょう」。子供にはみんなが教えることなのに、追求されまくって逃げられない状況にならないと謝らない大人。まぁ、その前に悪いことすんなよって話ですけど。

それに相手の意見を否定して辞任しろとしか言わない野党。いや、改善案出せよと。企業で改善案や代替案も出さずに否定してばっかの人がいたらすぐに窓際に追いやられることだろうと思う。

リーダーシップの本質が見えていない政治家たち

民主主義という仕組み上、政治家は国民をついて来させようとしなければならないにも関わらず、ついていきたいと思わせるようなリーダーシップを何も理解できていないのだ。

やると言ったことに誠実に取り組む、人を貶めるためじゃなく本当に政治をよりよくするために意見を言う、道を誤ったときにはちゃんと謝罪する、そして辞めなくていいから失敗を取り返すくらい頑張る。そんな当たり前の姿勢を見せられる政治家がいれば、それだけで十分に国民は日本の政治に期待をし、関心を持つようになると思う。

個人的には河野太郎氏には期待しているし、私以外にも期待している人は多いと思う。それは、やると言ったことに誠実に取り組む姿勢があって、ちゃんと自分たちの生活がより良くなるという期待が持てるからである。(SNS活用によって国民との距離が近いこともプラスに働いていると思う)

彼のようにくだらない利権争いではなく、ちゃんと国民の生活のために動ける人が日本政治の中にも増えていってほしいと心から願う。

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