「歳をとる」って「老ける」というネガティブなイメージを持っている人が多いように感じる。だから、誕生日を迎えると10代だと「また1つ大人になった」というポジティブな言い方をするが、20代も後半になってくると誕生日を迎えた人たちが「また1つ歳をとってしまった」というネガティブな言い方をしてしまう。
それを聞く度に私は「もったいないなぁ」という気持ちになってしまう。歳をとるのは、止めれないし防げないのでどうせなら「いい歳のとり方」をした方が人生豊かになるに決まっているのだ。そこで「いい歳のとり方」とは何かを紐解いていきたいと思う。
「失うもの」よりも「得るもの」に目をむける
「歳をとる」ということをネガティブに捉える人の多くは「失うもの」に着目しがちだ。
その筆頭が「老い」、具体的には”皮膚にシワやシミができてハリがなくなる”とか”体力が衰えてくる”とか”脂肪が落ちにくくなる”といった身体的機能の衰えである。これらはアンチエイジングで多少遅らせることはできてもなくすことなど現代科学では不可能だ。
なので、その事実を否定することに意味はないので、まずはその「老い」が進行することを受け入れ、老いた自分も自分だと認めてあげることが重要だと思う。
そのうえで、「歳をとる」ことをポジティブに捉えるために今度は「得るもの」に目を向けてみよう。
思い返してみれば、10代の頃は歳をとることによって得るものがとても多かった。アルバイトができる歳になれば自分で使えるお金が増えたし、一人暮らしを始めれば自由に使える時間も増えた。それが20代後半にもなってくると分かりやすく得るものがそんなに多くはないため、得るものに目を向けづらくなるのだろう。
だが、よくよく考えてみると得るものもたくさんあるのではないか。使えるお金もより増えるだろうし、社会的信用も大きくなる。仕事で実績を積み重ねることで、仲間が増えることもあるだろうし、勤めている会社内での権力も大きくなるかもしれない。
ここで重要なのは、20代後半にもなってくると得るものは人によって大きな差があるということである。直近数年で得てきたものは何か、できるようになったことは何かを省みたときに何も見つからない場合は、時間を浪費しているだけかもしれないのであまり「いい歳のとり方」をしていないかもしれない。(もちろんそれで幸せを感じられているのであれば、それも1つの良い生き方だと思う。)
今、自分を見つめ直した際に、得てきたもの、できるようになったものが浮かばなかった人は、これまで以上に自分になかったものを得るための、自分にできなかったことをできるようになるための行動をしてみると1年の密度がより濃くなり、いい歳のとり方をできると思う。
「過去」ではなく「未来」に目を向ける
あるある話で「おじさんは何度も昔話をしてくる」という話がある。もちろんこれはおじさんに対してネガティブな意味で語られることが多い。なぜなら、聞いている我々からすると「だからなに?」という感想しか浮かんでこないからだ。一方で私が「いい歳のとり方」をしていると思うおじさまは、昔の話もすることはあるが、その経験を未来にどう活かすかということを考えている人が多く、必然的に話も面白くなる。
つまりここで何を言いたいかというと、いい歳のとり方をしていないおじさんは過去に縋りつき、いい歳のとり方をしているおじさまは未来をどうするかを考えているということである。そして当然、過去しかみていない人は「昔はよかった」と言い現在に対して意欲がなく、未来を見ている人は「今はこうだから、未来はもっとこうできるのではないか」と希望とやる気に満ち溢れているのでキラキラして見えるものである。
最後に
生きる意味など人それぞれだと思うが、どうせ時間が進み歳をとっていくのであれば、その事実をまずは認めたうえで、過去に縋りつき現在に不満を言いながら生きていくのではなく、過去や現在を糧に未来に向かって生きていきたいと私は思う。
事実を受けいれ、未来を見据えることで「いい歳のとり方」ができるのだろう。
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